無知の知 reach of the intellect 2003 9 5

 歴史を振り返れば、金と武力だけの国は、命も短く、
歴史書にも、ページ数が少ない。
 強力な経済力も、歴史の前には無力で、やがて衰退していく。
 強力な軍事力も、歴史の前には無力で、やがて衰退していく。
だからこそ、文化や文明を残すべきです。
文化や文明は、歴史に負けず、生き残る。
 今から、2000年以上も前に生きた、ソクラテスは、今も思想のなかを生きている。
しかし、そのソクラテスの思想を生かしきれていない。
 現代の学問は、細分化の歴史でした。
たとえば、歴史学を取り上げてみます。
歴史学を、世界史と日本史に分化し、
その世界史を、アジア史に分化し、
そのアジア史を、中国史に分化し、
その中国史を、特定の王朝史に分化している。
 これで、歴史を知ったと言う。
しかし、これでは、無知に等しい。
自分の能力の無さを、専門領域を細分化することでカバーしている。
このようなことは、歴史学だけでなく、医学、科学、経済学、法学でも行われている。
 しかし、あらゆる学問の分野で、この細分化が起きた結果、
学問が迷走しているように見えます。
 このような状況を見て、
私は、学問の細分化ではなく、学問の統合化をやってみたい、
そういう夢を持っています。
 学問の統合化を進めると、どうなるか。
これは、結局、「人間とは何か」という問題に行き着くと思います。
 これを何と呼べばいいのか、わかりませんが、
人間学とでも、呼ぶのでしょうか。
 もちろん、従来あった人間学とは違います。
歴史学、法学、経済学、文学、科学を、すべて、十分に学んだ後で、
人間学にたどり着くのです。

 ソクラテスは、世に知者と呼ばれている人たちを吟味して歩いた結果、
彼らは、「何も知らないのに知っていると思いこんでいる」ことに気づき、
自分だけが、自らの無知を自覚しているのに気づいたのです。
これが、「無知の知」というものです。